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昭和の戦前戦後は動物剥製の全盛時代でしたね。 |
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猟銃を所持しているハンターにとって剥製師は「先生」と尊敬する |
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存在だったようです。 |
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昭和50〜60年代には狩猟の規制や動物保護の運動が高まり |
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動物を捕獲することを業とする人が徐々に減少しました。 |
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当然、趣味で狩猟を行う人は激減しました。 |
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平成に入ると狩猟数の激減に伴い、剥製の注文が減り剥製屋の廃業が |
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目立つようになりました。 |
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私が魚の剥製に着目した平成元年ころには各地で剥製屋が店を閉じて |
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寂しい限りでした。その後も動物の剥製屋さんは廃業が続きまして |
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今や動物の剥製屋さんは老人ばかりの業界となりました。 |
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平成に入りフィッシングブームが訪れまして大型釣具店が店舗拡大を |
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成し遂げ、全国は釣りブームに沸きましたね。私は上州屋さんに |
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お世話になって大いに顧客を増やすことが出来ました。 |
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私が開業した当時は、約10軒ほどの魚の剥製屋が繁盛していました。 |
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東北(盛岡)の伊藤さん、群馬の鏑木さん、栃木の鱒方さん、千葉の |
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東洋近代さん、埼玉の小林さん・橘さん、東京や神奈川にも数軒の |
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剥製屋さんが多忙な毎日を過ごしていたようです。 |
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しかし、どの剥製屋さんも高齢化し、そして後継者の育成には失敗している様子です。 |
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私が上州屋さんの取引を開始すると相前後してスタートした剥製スクールでの |
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剥製師養成では優秀な弟子を何人も輩出することが出来まして、皆で知恵を出し合いながら |
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それまでに無かったリアルな魚の剥製を再現できる技術を開発しました。 |
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今では、名古屋の飛魚丸・静岡の工房かじか・栃木のはくせい工房をメインとして |
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各地に展開した弟子たちがリアルな魚の剥製の普及活動をしています。 |
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しかしメインの工房は注文が多すぎて納期が1年前後と伸びてしまい、お客様に心配を |
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かけています。1年待っても良いから作って欲しいというリピータの方々の厚い支持は |
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本当に有難いもので職人冥利に尽きるというものですね。 |
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関東・中部・北陸には魚のリアル剥製が普及し始めていますが |
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関西・九州地方には魚の剥製を飾る文化が根付いていないようです。 |
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釣った魚は”食べるものだ”という習慣がレジャーフィッシングを受け入れ難いようです。 |
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5〜10年後の普及を目指して剥製師を養成したいものですが応募者が少なく |
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中央政治が悪いのだ!などと、ぼやいている所です。 |
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冗談はともかく、先んずれば人を制する訳ですから、先見の明のある方の |
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応募を楽しみにしています。 |
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私は魚の剥製を作りながら弟子の養成を平行して行っていますが |
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動物や小鳥の注文が徐々に増えてきまして最近ではペットの注文も |
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多くなってきました。しばらくは動物の剥製屋さんに制作を依頼していましたが |
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皆さんが老齢化していますので、いずれは依頼することが不可能に成りそうです。 |
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衰退した動物の剥製業界ですから後継者は全く無いと言っても過言ではありません。 |
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いずれ近い将来、動物や小鳥・ペットの剥製はお断りする羽目に陥らないように |
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私自身が動物の剥製を作らねばならない方向性が見えてきました。 |
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と言いましても私自身が60才を越しましたので、至急に後継者の育成まで |
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ビジョンに入れる必要が有りそうです。 |
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既に、小型のカメ・大型のカメ・小鳥・小動物の制作方法は確立いたしました。 |
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当然ですが薬物・劇物を不使用の方法です。 |
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魚の剥製技術者の中から選抜した優秀な人材を動物やペットの剥製屋さんとして |
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養成することが私の使命と考えるようになっている今日このごろです。 |
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そんな状況ですから、私の仕事はカメ・小鳥・小動物・ペットの剥製制作がメインです。 |
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先日、訪問して下さった税務署の査察官さんも、その方向性は正しいですねと |
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高い評価を下さいました。 |